長唄のある風景
黒塚紀行
2010.02.10 by Saki
めぐりくるくる車の糸は
長き夜すがら誰れを待つよ…
先日、「黒塚」ゆかりの地である、安達ヶ原の観世寺(福島県二本松市)へ行ってきました。
佐吉家の代表曲のひとつである「黒塚」。
“安達ヶ原の鬼婆伝説”を題材にしたこの曲は昭和14年、僕の曽祖父、四世杵屋佐吉によって作曲されました。
“安達ヶ原の鬼婆伝説”の題材は能、人形浄瑠璃、歌舞伎にも取り入れられ現在でも多くの方々に愛されていますが、今年1月新橋演舞場初春花形歌舞伎において歌舞伎としては約10年ぶりに「黒塚」が上演され、僕も長唄のメンバーとして末席ながら出演させて頂きました。
僕にとって「黒塚」は、この曲の為なら人生を懸けても構わないと思えるほど大変想い入れの強い曲で、佐吉家にとっても1000曲を超える作曲作品の中で最も大切にしている作品のひとつです。
〜安達ヶ原の鬼婆伝説〜
安達ヶ原の鬼婆はその名を「岩手」といい、もともとは京都の公卿屋敷の乳母でしたが、永年愛情を注ぎ育てた姫の病気を治したい一心から「妊婦の生肝を飲ませれば治る」という易者の言葉を信じ、遠くみちのくに旅立ち、たどりついた場所がここ安達ヶ原…。
年月は経ち、ある日岩手の住む岩屋に生駒之助と恋衣という旅の若夫婦が訪れ、一夜の宿りを求めます。その夜恋衣が突然産気づき、薬を求め出ていく生駒之助…。
岩手はこの時とばかりに出刃包丁をふるい、苦しむ恋衣の腹を割き生き肝をとりますが、恋衣は苦しい息の下から「幼い時京都で別れた母を探して旅をしてきたのに、とうとう会えなかった…」と息を引き取りました。ふと見ると、見覚えのあるお守り袋が。なんと恋衣は紛れもない自分の娘だったのです。岩手は気が狂い鬼と化し、以来、宿を求めた旅人を殺しては生き血を喰らう「安達ケ原の鬼婆」として広く知れ渡るようになりました。
そんなある日…。
(この続きは是非、長唄「黒塚」をお聴き下さい!)
当日は、観世寺の中村孝純住職に、鬼婆伝説に関する様々なお話を伺いました。また雪の降る中、鬼婆を埋めたとされる黒塚のほか、鬼婆が棲んでいたとされる岩屋や、岩手が鬼婆になるきっかけとなった娘・恋衣を祀る“恋衣地蔵尊”なども案内して頂き、ご住職からは「ここまで丁寧にお参りしてくれたのは佐喜さんが初めてです」との嬉しいお言葉を頂戴いたしました。
その後、隣接する「安達ヶ原ふるさと村」にも立ち寄り、園内を歩き回りながら鬼婆が棲んでいたかつての安達ヶ原に想いを馳せました。
帰京後には歴代の佐吉が眠る青松寺にて、これからも兄浅吉と共に“黒塚のDNA”をしっかりと受け継いでいくことを改めて墓前に誓いました。
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